ギャンブル依存症 ベロの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

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借金生活の始まり ベロの物語③

自分にとってとても大きな出来事があった19歳、でも前兆は既にありました。そして、それはきっかけに過ぎません。

 

バイトして、月に10万位は稼いでいたにも関わらず、仕送りは充分貰っていたはずなのに生活費が足りず、はじめてのカードを作っていました。

 

それは、ギャンブルだけではなく、生活全般が、緩みすぎていたのでしょうね。1人で雀荘や、パチンコに行くこともありました。

 

 

人生初のカードはジャックス。限度額はまだ可愛く5万。でも最初は充分だったし、罪悪感も沢山ありました。
 
あの大きな出来事が起きてから、タダでさえあまり行かなくなっていた大学には全く顔を出さなくなっていました。
 
大学の友達も心配して、電話をくれたり、逢いに来てくれました。
 
アパートは皆同じ大学の先輩でしたので、声を掛けてくれたりしたし、女性ばかりのアパートで、私は1番後輩だったので、差し入れなどもして下さり、気にかけてくれましたが、もう行く気力はなくなっていました。
 
 
 
代わりに、アルバイトと、遊びと、そしてギャンブル。前を向いて歩いてはいませんでした。常に下を向いて、心は閉ざして、バイト仲間だけには話をしていました。
 
 
この頃は1番腐っていた時期なので、ろくな生き方をしてなかったと思います。
 
アルバイトは22時から朝までしていました。それが生活の中心。そして、その頃は彼女の友達や女友達誰かれ構わず家に連れ込んでは遊んでいた。
寂しさは紛れませんでした。
みんなもそれがわかっていて、傍にいてくれました。
 
 
後はゲームを寝るが寝るまでずっとしていました。何かで心の穴を埋めたかったのでしょうね。埋まらないんですが。
 
その心の空白に、ギャンブルが深く入ってきました。
 
 
学校に行かず、アルバイトばかりしていたので、仕送りと合わせ、毎月30から40は使えました。だから、学生の頃が1番ギャンブルにお金を使ったのかも知れません。
 
最初は平台からでしたが、フィーバー機に移り、1発台、そして
パチスロを覚えました。まだ1号機や2号機があり、3号機が出始めた頃だった。
 
ワケもわからず、最初の頃はいつも勝てたので、どんどんハマって行きました。
 
パチスロで生活が出来るのではと思いました。
 
 
 
そんなことは当然長くは続きません。
負けがこんできました。
お金は充分あったはずなのに、乱れた生活も相まって、直ぐに苦しくなってきました。
 
その頃は、本当にいわゆる金持ちの遊び人みたいな生活をしていましたので、いくらお金あっても足りません。
 
 
今はどうなのか分かりませんが、その当時は、学生ローンというのが、至る所にあり、学生証を見せるだけで、簡単にお金を貸してくれました。
19にして、早くも借金生活が始まりました。
 
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