ギャンブル依存症 ベロの回復に向かって!

こんにちは、ベロです。私は病的賭博です、完治はしませんが、回復はあります。回復の軌跡、奇跡、ご覧ください!現在進行中

スポンサーリンク

成育歴は関係あるかな

おはようございます。キャスで暗くて、お経を唱えるベロです🤣慣れるまでにもうちょい時間かかりそうです😸

 

ギャンブル依存症になって、過去のことを振り返ることも沢山あるのですが、成育歴とギャンブル依存症は関係あるのかな?の前編になります。

 

どうなんでしょうね、ACとか、虐待とか、心に傷を負うような生活をしてきた場合は、結構関係あると言えるのかも知れません。

 

ですが、何度も言っていますが、最後の最後、コインのサンドにお金を入れるのは、馬券を買うために、マークシートを書くのは、自分です。脅されて、ギャンブルをしている人は1人もいないと思います。まあそれはいいとして。

 

 

私は、小学生の頃は、身長が高く、元気な外で遊ぶ普通の子でした。

 

中学生になる前に受験をし、たまたま県で一番の私立中高一貫教育の学校に合格し、行くようになりました。

 

このころから、私は歪んでいたのだと思います。私が通っていた塾からは4人しか受からず、完全に有頂天になっていました。家族の事もそうですが、周りの大人まで、下に見る、自分が一番だ、みたいな感覚をいつも持っていて、姉、母はもちろんの事、兄、父の事まで馬鹿にしていました。

 

私が通っていた学校は、すごい進学校で、周りには医者になるか、一流大学目指す人ばかりでした。そんな環境の中では、私は中の下だったのですが、結構コンプレックスもありました。

 

中学時代はバスケット、高校ではラグビーをしていて、高校時代はキャプテンをしていました。進学校だからという訳ではないですが、部活の時間も短く、弱かったのですが、男子校ということを除けば、普通の学生生活は送れた、むしろ、遠い距離を6年間電車とバスで通学したので、変化のある楽しい生活出来たと思います。

 

生活全般に関しては、家に帰ってからも、好きに生活してたので、何不自由なく育ててくれたと思います。

 

何個か思い当たることはあります。

 

まずひとつは親父のお酒のこと。

親父は、ふだんは量を自分で決めて、毎日晩酌する人でした。そして、仕事は、若い頃から仕事場の長を任されるような人だったので、自分で時間をゆったり作れる人で、いつも定時には上がる人でした。

中学に上がってからは、帰ってくると、いつももう親父は晩酌をしながら、テレビを見ている、という感じでした。

そして、父は、お酒が入ると、ちょっと気が立ったり、お袋に対して、あれをしろこれをしろと、うるさかったので、親父が飲み始めると、家の中はちょっと緊張状態でした。頻繁ではないですが、お袋に対しての暴力もありました。

中学に入ってからは、やはり止めること、何回かありました。

 

だから、普段の話も、真剣な話も、親父は常に酒を飲んだ状態で聞いているという感じでした。休肝日というのはなく、年中無休、18時過ぎにはだいたい晩酌は始まります。

そういうふうに段取りをずっとしてきたお袋にも問題はあったのかもですが、家はそれが普通でした。

 

それともうひとつは、親父の意見が絶対で、反対意見を受け入れないという訳では無いのですが、なかなか話を取り入れてはくれない感じでした。

更に、成果主義というか、エサをぶら下げて頑張らせるというか、例えば中学の時は、学年で50番以内に入ったらパソコン買ってやる。

とか、高校時代も、成績良かったら、原付バイクを買ってやる、とか、何かにつけ、私はエサに釣られて勉強していたように思います。

 

他は、親父は第二次大戦のときは、まだ小さかったのですが、戦争について特別な思いがあったようで、疎開の話や、特攻隊の人の話をよくしていました。

そこで、私はいつも反抗して、喧嘩になっていたのを思い出します。

 

明日はお袋の話と、その他、そしてそれがどんな風に影響あったのか?を考えてみます。

 

ブログ応援してください!クリックお願いします!↓

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村

スポンサーリンク