私達は、色んな活動をさせてもらっています。自助グループは基本でもちろんの事、考える会や家族の会の活動を通して、たくさんの成長をすることができました。
そして、ステップの事はもちろんの事、自助グループではない活動をすることの意義、自助グループの限界を超えたところにある繋がりを持つことができたことにより、本当に人との繋がりの大切さを学ばせてもらいました。
おはようございます、ベロです。
今日は、今も私達が抱えるギャンブル依存症問題の常に先頭を走って、試行錯誤され、常に発信を続けている憧れの姉さん、リコさんとの出会いについて書きます。
私達は、この土地に来てから、たくさんの人に出会いました。その中で、私達を変えてくれた影響力抜群のNO.1がリコさんです。
私達は、最初の頃、リコさんが講演に来られたのを見に行ったのが初めてなんですが、
その頃は、食わず嫌いというか、正直あまり好きではない仲間がリコさんにゾッコンだったし、特に興味もなかったので(リコさんごめん)、どちらかというと避けていて、何度も九州に来られてるのに、行くこともなく、アー、何かやってるね、と冷めた感じでした。
ですが、たまたま私のいる地域の回復施設のオープンイベントで、こちらにリコさんが見える、ということで、色眼鏡じゃなくて、生のリコさんを見に行ってみようじゃないか(超上から目線ww)と思い、3回の講演会に参加しました。(私は仕事の都合上一回だけ)
そこでリコさんの人間の魅力や話に惹きこまれ、すぐに二人とも大好きになり、話もするようになりました。うわさ話や陰口はいけませんね。実際会って、話してみないとその人なんてわかりませんもんね。
そしてFDP(ファミリー・ダイナミクス・プログラム)という毎月開催する、12ステッププログラムの勉強会の講師をリコさんがやっていることも分かったので、途中からですが、毎回参加していきました。私ももちろんですが、妻は特にステップを手渡ししてもらっている最中だったので、毎回、得るものが多く、帰りの車でいつもステップ談義をしながら帰っていました。
そして、リコさんともそこそこ話をするようになったころ、リコさんから、考える会を立ち上げてよ!という依頼が妻のもとに来て、そこから今の自助グループ以外の活動が始まっていくのです。
考える会に関しては、私達が何をしていいのかわからない感じだったのと、まだまだこの地域で知られている団体でもなかったのもあり、2回会合を開いた後は、一人減り、二人減り、とメンバーは妻と私ともう一人、くらいになってしまいましたが、その最初から繋がってきた人脈から、今の家族会の活動の土台ができていったのです。
最初の頃、リコさんと三人で県庁を訪れた時は、たくさん話も出来て、連携とっていけるなあと思っていましたが、後は泣かず飛ばず。
妻がいつも一人で県庁を訪れていたのですが、門前払いにはならないものの、話を聞いてくれて、企画を実現してくれる、ということもなく、時は過ぎていきました。
この苦しい時にも、定期的に県庁や、支援センターなどをコツコツ回っていた妻には本当に頭が下がります。
それからは、リコさんが九州に出張の時はだいたい駆け付け、県に来られた時は、妻が一緒に行動していたようです。その時にとにかくたくさん話をしたようで、その経験、体験が妻の血となり、肉となって、今のパワフルな活動の支えにもなっているのだと思います。
そして、そうした繋がりから、時は流れ、家族の会を全国展開していくという中で、当然妻に、この地域に家族会を作ってよ!と依頼があり、元々私達も開きたいという思いがあったので、始めることになりました。
当初は相手にしてくれなかった行政も、1年以上のコツコツとした妻の活動の賜物でしょう、積極的に話にも参加してくれ、一部ではありますが、助成金もいただいて、
晴れてリコさんの講演会もこの地域で開くことも出来ました。
とこうして色んな活動の事を書いてきましたが、本当に私達二人が、そしてみんなが活動ができて、今、自助グループと、それ以外の活動と、色んなことが実際できているのは
間違いなくリコさんに出会えたからであり、それがなかったら、私達は普通の自助グループのメンバーであり、今のように充実した毎日が送れてなかったかもしれません。
私はリコさんの考えに全てが全て賛同しているわけではありませんが、基本ギャンブルに関することは、微力ながら応援させていただくし、これからもお世話になっていくと思います。たくさんの学びをありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
人と人との出会いって本当に不思議だし、そこから未来って変わっていくものですね!
人との出会いをこれからも大切にしていきます。