おはようございます、ベロです。
昨日からの続きですね。
いよいよお金もないし、借金やギャンブルの話をしなくてはなりませんでした。
仕事は休めない、と言いましたが、給料も入らないのに仕事どころじゃないやろ、この先どうやって暮らすの?
と言われ、仕方なく仕事を休んで元妻の実家に行きました。
そこで散々なじられ、義両親にも相当言われ、両親も義実家に謝りに来て、 何とか事は収まりました。
義両親からお金を借り、少しずつ返していくことにしました。
ここで初めての債務整理もすることになります。
元妻からは犯罪者と言われました。まあ確かにそうなんです。
事件になってないだけで、これが他人に対することなら普通に窃盗だったり、公文書偽造だったり。
誓約書も書いたし、反省文をノート1冊書かされました。この書かされたというのがミソ。
反省もしてないのに反省文を書くので、嘘ばかりで本心は全く見えて来ないけど、取り繕った言葉はいくらでもかけたので、その場を凌ぐことはできませんでした。
引越しもありましたが、元妻も生活のストレス、慣れない育児でイライラ、しかも私の借金返済のために苦しい生活を強いられ、喧嘩はたえませんでした。
ある時は、「お前なんか要らないからどっか行け!」と子供を振り回しながらキレまくって、近所の人が心配して出てくることもありました。
そんな状態でもまだまだやめては居ないのです。
小遣いは減っても嘘を着いてギャンブルには行きました。
少しずつ前借りもしているので、会社に借金も少しずつ増えていました。
会社からも、あいつは仕事はするんだけど、ギャンブルに問題があるんだよなあ、と噂されるくらいになっていました。
まだ完全には社会からの信用は失ってなかったので、全てを一からやり直すということにはなりませんでした。
そしてそのうち仕事場の所長に任命されたため、給料も上がり、ギャンブルの問題はウヤムヤになってしまうのです。
今度は所長になると、自分のお金は増えないものの、会社の経費や色んなお金を私が管理することになります。
ギャンブル依存症の人間が管理なんか出来るわけありませんよね😨
もちろん大半をギャンブルに使ってしまいました。そして、足りない分は色んなやりくりの仕方があるので、それを使って、自分で作ったマイナス分は会社に出して貰う、という、横領経費水増しなど、さらに悪いことを次々にしていました。
その頃になると借金はかなりなくなり、生活も安定し、所長用の車もいい車を貸し出してくれたため、一見幸せな家庭に見えました。
実際どう感じていたかは分かりませんが、内情は相も変わらずギャンブルは隠れてやってました。
そして近くにWINSもあったので、大きなレースの時は競馬もやっていました。
小遣いは2万でしたが、小遣いなんか関係ないですよね。会社のお金を使いたい放題でしたから。
そういった悪事はこの業界の闇というか、全くバレることはありませんでした。
なので、お金の使い方だけがエスカレートしていきました。
しかしこの生活も3年ほどで終わります。
私の悪事が原因というわけではないのですが、会社の経営が上手くいかなかったようで、会社をたたむようになりました。
潰れる前にちょうどスカウトもされていたのでうまい具合に転職することになりました。
私はその時絶好調に傲慢だったので、所長として呼ばれると思っていましたが、そんなことはなく、普通に一般の社員からやり直しという感じでした。
大きな不満はあるものの、私が長年入りたかった会社だったので、立場と言うよりは、安定を取りたかったんだと思います。
ここでやっと真から色んな方に出会い、たくさんの出来事があって、やっとギャンブル依存症という病気と向き合うようになっていくのです。
でも連続で見てくれている方はお分かりでしょうが、いろんな転機や変われるタイミングなど沢山あったのに、ギャンブルをやめたいという気持ちが本当に強くないと、そして、病気だということを認めないと、治療の、回復の方向には決して向かないのです。
今日はここまでにしておきます。
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