おはようございます、ベロです🤗
やっとギャンブル依存症という病気に向き合えたことを昨日は書きましたが、だからといって
楽になり、順調に回復の道を歩んできた訳ではありません。
まずそれはなんでか?
昨日も書いたように、元家族へのアピールとギャンブルをやめるつもりがなかったし、依存症て治ると思っていたからです。
一番最初のミーティングから取り組み方が真面目でもなんでもありませんでした。
初めて自助グループに参加したのは通常のミーティングではなく、周年記念でした。
仕事の日はなかなか行けない、という考え方をそもそも持っていました。
今となってはその最初のところから間違ってるんですけど、当然回復への行動よりも仕事のことを優先していました。
日曜日に、会場に行ってみたものの、なんだかおかしな雰囲気。笑いあったり、ロビーで楽しそうに話してたり、とてもギャンブル依存症当事者の会という雰囲気ではなく、元々行きたくもなかったし、わざわざお金をかけて電車で来たものの、人見知りでもあるし、嫌な印象しか無かったので、近くのファミレスで時間を潰し、家族には行ったことにして、もう帰ろう。
そう思って、ファミレスを出て、帰りのバスのところに向かおうとしました。
ちょうどイベントも始まる時間で、人も集まってるようなので、さてさて帰ろう、と会場と反対の方向には向かいだした途端、なんだか見覚えのある車が会場の方へ入っていきました。
元妻です!
やばい、私はダッシュで会場に向かい、元妻が車を止めてある所まで行きました。
「わざわざ来てくれたん?」
「自分の勉強のために来ました」
と言われました。
会場にはいってもわざわざ別の席、しかもかなり離れた席に座り、お昼も別々でした。
そしていろんな話を聞いている間に、仲間と言われるこのギャンブル狂いのおっさん、おばさん達は、実は私と同じような体験、経験をしているまさにギャンブル依存症当事者なんだ、ということがわかりました。
その時に改心した訳ではなかったんですが、行けたことには素直に行ってよかったな、とは思えました。
会の終わりの方で、初めて参加された方いらっしゃいませんか?
と言われたのですが、モジモジしていると、元妻がクイッと首を振り、早く立てよと言わんばかりに睨みつけていたので、渋々経ちましたが、ウェルカムキーホルダーとハンドブックを貰って、盛大な拍手をくれました。
ただのギャンブル依存症なのに、なんで拍手をされるんだろう?
と思ってましたが、会が終わっても何人か声をかけに来てくれて、また会いましょう、とか、通常のミーティングのことを話してくれたり、会の途中では孤独を感じてましたが、帰りには、ひとりじゃない感覚で嬉しかった記憶があります。
元妻には、最寄りの駅まで送ってもらい、感謝と謝罪を伝えましたが、
「とにかく会場で会えてよかった、今日来てなかったら、もう私もやってられないと思ってたから」
と言われました。
その数週間後、予約していた病院の家族教室に参加しました。
私は元妻と別のところに振り分けられ、たくさんの家族の中に私は1人だけぽつんと取り残され、批判を受けたり、なじられたりするのかと思っていましたが、家族がそれぞれの悩みや苦しみ、悲しみを話してくれて、私と似たような状況の人も居たりして、本当に申し訳ないと思いました。
でももちろん私を責めることもなく、ただこれからギャンブル依存症に向き合い、どうやって変わっていけばいいかとかを少し勉強しました。
晴れてこれで先生に診察をして貰えます。
2回目以降は私は家族教室には行かなくていいのでほっとしました。
やはり今はあまり思いませんが、当時は家族の話を聞くのはしんどかったです。
そしてやっとこの家族教室ごあった翌週、初めて自助グループに行きました。
周年記念でお会いした人が私のことを覚えていてくれて、わざわざ握手をしに来てくれました。
これもまた本当に嬉しかったです。
そして、初めて自分の口からギャンブル依存症の話を仲間に聞いてもらいました。
号泣はしなかったけど、少し泣きました。
でもここにせっかく来れたのに、変わることはまだまだ出来ませんでした。
何故かって?
パチンコをいつかはまたできるようになると思っていたからです。
今日はここまで😉
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